こんにちは。世間で言うところの学期末が近づくとサイト更新が止まるわかりやすい男ゑびすです。
さて
もうそろそろ、マスコミの皆さんは「以前は○○(←何であれいただけない状況)だったが、今はこんなに○○(世間的にはたいしたことないことをけなげに頑張ってる図)です」式の報道を止めてもらいたいものだ。
ほれ、この時期になると「弱小野球部、初めてベンチに9人揃う。悲願の大会初参加」とかそういう記事が出るでしょ?
今良い状態、あるいは上がり調子であることは別に全く問題はないのだが、過去ダメだった事実を報道される、と言うこと自体が迷惑だとは思わないのだろうか。言わなきゃ分からないのに。
しかも、そう言う記事を書く手合いに限って「紙面で紹介してやった」式の偉そうな態度で構えてやがるのが腹立たしい。で、読んだ方も「へー、エライねえ良くできたねえ」みたいな気分でお褒めの言葉を下さるわけだ。
そうやって、弱者や苦境にある人々をあげつらって優越感をあおる(あるいは、特定民族に対する同情を引く)的な記事構成はもううんざりだ。
戦時中の翼賛報道以来常に強者ににこびへつらい、権威にぶら下がってプライドを保ってきた習い性というものなのだろうか某新聞。
また、世の人々も「昔はこんな○○(←非道徳、不見識、犯罪などの要は悪事)だったが、今は立派な○○(←世間的にはごく普通、当たり前の生活)なんです」というストーリーを美談扱いする感覚と決別してもらいたい。
ほれ、某ヤンキー○○とか、元ヤクザで今弁護士とか、暴走族上がりの○○とか。
だいたい、今良いからといって過去の悪事、汚名がなかったことになるわけではない。
「まともになった」というのは「世間並みの水準に遅れてなった」ということじゃないのかなあ。
あったことはあったこと、存在する事実を「気にしない」あるいは「許された」だけなんでは?
誰だって過去には色々過ちを犯したり行きすぎた振る舞いをしたりしてるものだが、それは多かれ少なかれ各人が一生背負って行かねばならぬものであるはず。
いつぞやの万引き告白芸能人の時みたいに必要以上に叩かれるいわれもあるまいが、多くの人は前非を悔いて…いないまでも多少は恥じてひっそり身を慎んでいるわけで。
ましてや自分から吹聴して回ることではあるまい。
「今ワルやってるヤツに、目を覚ましてもらいたい」とか、いつからそんな上からものを見るような態度で発言できる立場になったのか。
「おまえら、オレも昔は不良でずいぶん無茶やったもんだけど、今はなあ~」とか偉そうに吹かしてるオヤジと全く変わらない醜さを感じるのはオレだけか?
第三者が「彼のように立ち直れ」と言うなら少しは納得できるが、そうなると今度は前段の報道被害みたいな話になるわけで。
元々ブン屋とかテレビ業界人とか嫌いなわけだが自分が被害者になって益々実感できたのでちょっとわめいてみただけさ!
大丈夫、明日にはいつものユーモアとエスプリに満ちた小粋な紳士に戻るよ!たぶん。